調査捕鯨と沿岸捕鯨
先日、私たちのところに送られてきた意見を掲載した。理由は、これまで人権関係ではこういう国のおかしなやり方への批判というのがいつでも少なからずある(と私は感じてきた)が、こと、捕鯨になるとそういう、いうなれば普通の政府批判意見が見当たらない。で、こうした意見がもっともっと出てもいいのではあるまいか、と思って早速紹介した。
その人はうちだけでに送ったのではなかったらしく、意見への反論が鯨ポータルサイトに出ていることを昨日知った。まあ、反論は当人がするでしょうが、私自身、それを見ていて興味深かったことがあったので、それについて書いてみたい。
文中で森下さんは少し強引だが、と断ってはいるが「調査捕鯨=原理原則」、「沿岸捕鯨=人権問題」と切り分けており、反捕鯨国がいっしょくたにするのはおかしいといっている。
ここでまず思ったのは、モラトリアム以降の沿岸捕鯨への日本政府の消極的なあり方である。JanJanで佐久間淳子氏も書いているが、アメリカが沿岸だけやるっていうのはどうよ?と聞いたのに、いえいえ、それはなりませぬ、と答えている。また、京都で開催された会議でも、沿岸再開支持は過半数ではなく、三分の二だよね?と強調したという風に聞いている。アイルランド提案だって、彼はオーストラリアなどが強硬に反対したといっているけど、日本だって強硬に反対したのだ。
で、一方で、調査捕鯨枠を拡大し続けた、その結果、沿岸で捕獲しているツチクジラの1頭あたりの値段は10年間で3分の一に下がっている。途中でもちろん「科学的知見」が変わったわけではないのに、これまでとってきたが減っていないし、と捕獲数を増やしている。
また、ご存知のように、沿岸の調査捕鯨の業者委託をはじめ数を年間60頭から120頭に増やしている。しかし、それでも沿岸は赤字である。それでかどうか、昨年あたりから,日本政府はかなり激しく沿岸捕鯨の再開を求め始めており、調査捕鯨の数の調整をそこでしてもいいとか言っている。後付けである。
これで、沿岸捕鯨は人権問題というなら、これまでずいぶん人権を軽んじてきたようにも思える。
一方で、沿岸での捕獲では、前にも書いたが、「資源数」が余り健全ではない、日本海の個体群が含まれる可能性は否定できない。
さらには、毎年数が増えている定置網での混獲問題がある。ミンククジラを中心に、2007年は148頭捕獲があったという。沿岸の調査捕鯨をしのぐ数である。
原理原則というのは、資源としてみることが出来るということで、どうしても利用しなければならないということではないということも考える必要がある。これが、ナショナルインテレストの中身であろう。
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