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2008年2月28日 (木)

続き

 今日の新聞(デイリーテレグラフ)で、日本の捕鯨推進の中核を担ってきた議員さんのコメントを見た。彼の意見が全体の意見の反映ではないと思うが、「沿岸での操業が許されるならば、公海でのクジラ捕獲はまじめに考え直すべきときかもしれない」というもの。「IWCでのアメリカ(議長国)の調整力次第で合意も出来うる」というようなコメントもある。
 国内でも、総務庁がやったアンケートの答えなど見ると、沿岸だったらいいんじゃないの?という声が強いように思える。
 かつての捕鯨推進の看板だったイギリスのお方も、やはり、南極はまずいという意見を何回か述べておられる。
森下さんも「調整中」という微妙な物言いをしていることであるし、考えられる解決法なのかもしれない。

 ところで、私はこれに対してはあまり前向きになれない。理由としては、昨日も書いたようにJ-stockを捕獲しないですませる方法があるのか。混獲クジラの数のカウントはどうするのか。
 
 かつて、西日本には捕鯨の「文化」があった。だが、それも、とりすぎのために産業として成り立たなくたって終焉している。そのことを考えても、よほどの厳しい管理、統制がない限り、クジラを流通させるのは難しい、と思っている。
 また、そうした管理そのものは、当然現代の産業の発展には寄与しないので、いずれは産業としてなくなることを考えつつ、産業としてどうきれいに終わらせるか、ということが重要な気がしている。
今だって、「食べたい人がいる」からとして産業を維持しようと、「国策販売会社」を作ったり、学校給食に導入したりして需要拡大を一方でし続けなくてはならない状態がある。「文化の継承」というけど、竜田揚げやらオーロラ煮やらといった戦後に入ってきた調理法をありがたがったり、カルパッチョだかポトフだかを実演してしているのはどう見たって文化の継承とはいいがたい。

 「いつでも、どこでも、格安で」を夢見ている人たちも一部にはもちろんいるでしょう。でも、それは「自然」を相手にしては無理な注文ではないのか。

 一般的な商品でないものとして、誰がどのくらい必要なのか、どうやって確保するのか。それはこれからの解決すべき課題のひとつだと思う。

2008年2月27日 (水)

調査捕鯨と沿岸捕鯨

 先日、私たちのところに送られてきた意見を掲載した。理由は、これまで人権関係ではこういう国のおかしなやり方への批判というのがいつでも少なからずある(と私は感じてきた)が、こと、捕鯨になるとそういう、いうなれば普通の政府批判意見が見当たらない。で、こうした意見がもっともっと出てもいいのではあるまいか、と思って早速紹介した。
 その人はうちだけでに送ったのではなかったらしく、意見への反論が鯨ポータルサイトに出ていることを昨日知った。まあ、反論は当人がするでしょうが、私自身、それを見ていて興味深かったことがあったので、それについて書いてみたい。

 文中で森下さんは少し強引だが、と断ってはいるが「調査捕鯨=原理原則」、「沿岸捕鯨=人権問題」と切り分けており、反捕鯨国がいっしょくたにするのはおかしいといっている。

 ここでまず思ったのは、モラトリアム以降の沿岸捕鯨への日本政府の消極的なあり方である。JanJanで佐久間淳子氏も書いているが、アメリカが沿岸だけやるっていうのはどうよ?と聞いたのに、いえいえ、それはなりませぬ、と答えている。また、京都で開催された会議でも、沿岸再開支持は過半数ではなく、三分の二だよね?と強調したという風に聞いている。アイルランド提案だって、彼はオーストラリアなどが強硬に反対したといっているけど、日本だって強硬に反対したのだ。
 
 で、一方で、調査捕鯨枠を拡大し続けた、その結果、沿岸で捕獲しているツチクジラの1頭あたりの値段は10年間で3分の一に下がっている。途中でもちろん「科学的知見」が変わったわけではないのに、これまでとってきたが減っていないし、と捕獲数を増やしている。
 また、ご存知のように、沿岸の調査捕鯨の業者委託をはじめ数を年間60頭から120頭に増やしている。しかし、それでも沿岸は赤字である。それでかどうか、昨年あたりから,日本政府はかなり激しく沿岸捕鯨の再開を求め始めており、調査捕鯨の数の調整をそこでしてもいいとか言っている。後付けである。

 これで、沿岸捕鯨は人権問題というなら、これまでずいぶん人権を軽んじてきたようにも思える。
一方で、沿岸での捕獲では、前にも書いたが、「資源数」が余り健全ではない、日本海の個体群が含まれる可能性は否定できない。
 さらには、毎年数が増えている定置網での混獲問題がある。ミンククジラを中心に、2007年は148頭捕獲があったという。沿岸の調査捕鯨をしのぐ数である。

  原理原則というのは、資源としてみることが出来るということで、どうしても利用しなければならないということではないということも考える必要がある。これが、ナショナルインテレストの中身であろう。

2008年2月20日 (水)

イルカ追い込み猟について考える

  2月16日に、和歌山県太地のイルカ追い込み猟で、バンドウイルカ約100頭が追い込まれたと聞いた。太地では、バンドウイルカを突きん棒と追い込み猟で捕獲できることになっており、その数は前者が95頭、後者による捕獲枠は842頭である。今期では昨年中のバンドウイルカの追い込みはなく(見つからなかった)1月に20頭水揚げ(と殺)しており、今回が2度目になる。
 
 数年前から、太地のイルカ猟については海外からの大きな抗議の声が上がっており、海外では繰り返し、その様子が報道されて、人々の怒りを買っている。
 一方で、国内での報道及び反響は海外の熱さに反比例するように少ない。捕鯨と同じように、海外からの抗議が返って国内での問題意識を海外への反発という本来あるべきところから遠ざける結果になっている。

 IKANは、海外の抗議に一定の距離を保っているが、それは、イルカ猟の持つ問題点に関して国内での冷静な議論の場を作り出したいからであって、決してそれ自体に問題がないと思っているわけではない。

 追い込み猟は、太平洋側のいくつかの地域で古くからあったものの様である。特に伊豆地方では、江戸期に追い込み漁が行われたが、その技術が改良され、捕獲数が飛躍的に増えたのは戦中、戦後のことと思われる。
主な標的であったスジイルカが捕獲数の激増でいなくなり、その後、同じような乱獲がマダライルカでも行われた。マダライルカの次に捕獲されるようになったのがバンドウイルカなのだが、その過程で伊豆地方に4箇所会ったイルカ猟実施地域は1箇所を残すのみとなり、残された富戸でも2003年を最後に行われていない。
 ここでわかるように、追い込み猟という方法は大きな群れを作るイルカの捕獲方法として効率がいいが、イルカを消滅させうる方法でもある、つまりまったく持続的ではない漁法であるということだ。

 太地での追い込み猟は、伊豆地方の技術を取り入れた1969年以降、その数や種を増やしていく。伊豆地方と同じようにバンドウイルカを捕獲し始めたのは他のイルカが減少したためといっても間違いではないが、当然ながら、捕鯨モラトリアムの時期にその捕獲数は増大した。

 しかし、現在は、与えられた捕獲枠を必ずしも満たしているわけではない。イルカ類の減少とともに、調査捕鯨の拡大に伴う鯨肉あまりが販売不振を招いている。また、ハクジラ類への化学物質の高濃度汚染も、イルカ類の肉としての流通を鈍らせた。
 そのため、現在はむしろ、水族館用の生け捕りのほうが値段もいいということで、イルカ漁業者はそこに活路を
見出している状態だ。

 追い込み猟の影響への懸念はすでに1996年に水産資源保護協会による「日本の希少な野生水生生物に関する基礎資料」に記述されている。バンドウイルカにかんしてはこうだ「本種の生態に関する諸外国の研究によれば、本種には沿岸と沖合いに異なる系統群が分布する例が多い。さらに、沿岸性の系統群のなかにはコミュニティと呼ばれ、数十~数百kmの限定された沿岸を生息圏とする個体群がいくつもあることがわかっている(中略)。日本では研究の遅れにより、このような個体群構造は明らかでなく、漁獲の影響を詳しく評価することはできないが、狭い沿岸域で年間数百頭の漁獲をあげた場合、特定コミュニティの絶滅や漁場周辺を主な生息域とする個体の数が漸減し、地方的な資源の枯渇が発生する可能性があるので、警戒が必要である(粕谷・木白、1995)。」

 書かれてからすでに10年以上が経過しているが、その間に抜本的な保護策はとられていない(捕獲枠の変更でおよそ50頭減)。今回も、100頭すべてを捕獲しても、なんら問題はないことになる。

 しかし、彼らイルカの存亡がわずか数十人の人々の都合で決定するということが果たして許されていいものだろうか?
 自然は誰のものでもない。しかし、私たちの賢明な選択としてはできるだけ傷をつけずに次世代に受け継ぐということが求められるのではないのか。人による乱獲だけではなく、化学物質汚染による生殖への影響や集団座礁、温暖化による餌生物の消失など、彼らの運命を脅かすことに事欠かない時代なのだから。

 


 

2008年2月 7日 (木)

捕鯨の是非について

 先週、PEW慈善財団というところが主催した捕鯨についてのシンポジウムに参加する機会を得た。捕鯨に賛成する国、反対する国の代表、研究者やNGOなど多様な立場の人たちが互いにどのようなよりよい解決法を見出せるかという意見を平場で交換した。発言内容は発言者の特定を避けるために公表されず、最終的には議長のサマリーが公表される。
 私の立場からは、日本にいる少数派として、合意形成になくてはならない情報の共有を訴えた。
 
 日本国内では、モラトリアムが決まった後に、国内世論の大方がその結果を支持していたと聞くが、その後、産業側が非常に強力なキャンペーンを開始し、国内における関心が薄くなるにつれ、かなり危うい捕鯨の正当化が定着して言ったと認識している。
 最初は、捕鯨に従事するものの権利だった。これについて私は、(クジラを食べる食べないという議論の前に)産業というものが永続しなければならない必然性はないのだから、産業的に継続が難しくなってきたら、国がきちんと責任を取って補償すればよいのではないか、と思っていた。
 
 しかしこのキャンペーンは、従事者の減少もあってうまくいかず、次に現れたのが「伝統文化」である。とくに、ある企業に原発の有害廃棄物投棄の批判として使われたアメリカの陰謀がバリエーションとしてベトナム戦争の枯葉剤の問題隠しとして利用されるにいたり、かなり批判力のあるいわゆる知識人でさえ、論理の混同に気がつかずに追随する有様となった。

 最近はあまり使われなくなったが、異文化に対する無理解とか欧米の日本文化の圧殺というような構図は、ある主のワンポイントクリティックス(ポリティックスではない)たちによって繰り返し使われている。

 いつもはあまり話題にされない調査捕鯨も、ザトウクジラ捕獲に関して火を噴く結果となり、さらに捕鯨船への攻撃があって、珍しく、大手メディアもカラー写真入りで報道した。
 しかし、この中でも「調査捕鯨の目的が日本の国内の要求に従ったもの(つまり南極でかなりの数のクジラを殺して肉を供給すること)なのかどうか、とか、1946年時、つまり捕鯨全盛期の条約がその後の海洋関連の条約にも拘束されないものなのか、国際的に「保護区」と決められたところでクジラを殺すのがいいことなのか、沿岸諸国の別の利益(ウォッチングなど)を無視していいのか、というような別角度の議論に対応しているとは思えない。

 先に私たちは調査捕鯨の拡大によって、国内のクジラ肉供給が過剰になっていることを明らかにしたが、今回さらに、調査捕鯨の拡大が日本政府が繰り返しその生活を守ってほしいと主張する沿岸捕鯨者の操業を圧迫していることも明らかになった。
 クジラ肉あまりが必然的に、沿岸のツチクジラやイルカ類の価格を下落させ、通常であれば撤退するところを、面子のためにやめるにやめられないような国内事情が生まれているのだ。
 少し調べればわかるこのようなことをまったく顧慮しないで、昔学校給食で食べた竜田揚げを懐かしみ、既得権益を守りたがる人たちのなんとばかげていることか。

太地シャチ捕獲から11年

 今日は、太地で5頭のシャチが捕獲されてから11年。その間に4頭は相次いで死に、残るはたったの1頭。妊娠されていたとされるやや大きいメス以外はまだほんの子供だったのだから、「夭折」という言葉が似合うかもしれない。
名古屋港水族館で残された1頭、メスのクーを見た。推定19歳、小柄ながら、生き生きとしてなかなかやんちゃな様子も見える魅力的なシャチである。運悪く太地沖などのルートを取らなければ、きっと将来はいいリーダーになったろうな、と思う。
 聞くところでは、シャチはなかなか掴まえるのが難しい動物だということである。この群れは、小さな子供や赤ん坊を抱えていたから、逃げることが出来なかったらしい。そういえば、羅臼で流氷に閉じ込められ、集団座礁したシャチの群れも幼い個体がいたために逃げ遅れたという話を聞いた。安易に「ヒト」などとは比べるまい。

 この間、たまたま水族館で飼育されているイルカ、そしてシャチを見る機会があったのだが、狭い空間を行き来する彼らの姿を見ると、なんだかこちらが息苦しい思いがしてくる。それを見て喜んでいる人たちを見ているとさらに情けない思いがする。

 そういえば。
 昔、昔、小学校で選ばれて、動物園での写生大会というものに参加したことがあった。まだ低学年だったと覚えているが、どこを見ても狭い檻、コンクリートの床で窮屈そうにしている動物たちの姿を、とうとう最後まで描くことが出来ずにべそをかいたことを思い出す。学校としては賞をかけた写生大会に、役立たずを送り出したことになる。その後2度と選ばれなくなったが。
 

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