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2007年12月25日 (火)

解決といえない

12月21日、日本政府は南極海で予定していたザトウクジラの捕殺を「一時的に」取りやめたと発表した。
珍しく、国内メディアをそれなりに大きく伝えた。今年のIWCでうまく取引材料にできず、宙ぶらりんになっていたザトウクジラの扱いにやっと決着がついた。殺さないという発表はもちろん歓迎すべきでことではある。しかし・・・

ザトウクジラの市場的価値はもともと高くないわけだから、面子以外に(それときっと、殺して集めたデータを収集している方たち以外に)それほど大きな痛手ではなく、形としては譲歩したことになり、ほかの調査対象についても一時的には風当たりは和らぐと思われる。自らさっさとやればいいのにやらず、アメリカが仲介しているところで、なんらかの取引の存在を疑っているのは私たちばかりではなかろう。
もともと、モラトリアム時にアメリカは沿岸での捕鯨をやってもいいのでは?という立場であったわけで、彼らの立場上も大きな方針転換でもないはずだ。
日本としては、沿岸の漁業者にいい顔ができると同時に、なんとしても続けたい調査捕鯨もできる状態が望ましいのだ。
ザトウクジラを当面殺さないという発表は歓迎するものの、その先をどうするかというもともとの問題の解決が見えてこないことは大きな問題だ。当日は、日本の調査捕鯨に反対する30カ国の代表団が外務省を訪れ、殺さない調査を要請したと聞く。毎年、あれこれ総額で10億円もの税金を投入する調査が本当に私たちのためなのか、真剣に考えるべきときだと思う。

2007年12月10日 (月)

これも「口利き」?

 シャチシンポからだいぶ時間がたってしまったので、記憶がすっかり失せる前に報告を終わらせよう。

 第3部は公募によるシャチ研究であった。やはり、飼育化の報告よりも断然面白く、第2部のような居眠り組みは少なかった。
まずはじめは、鯨類研究所の松岡耕二氏の鯨類捕獲調査での発見である。主目的は大型鯨類ではあるが、大型鯨類と同様の目視記録を作成している。識別用ではないが、ニタリクジラを襲うシャチやアルビノ個体の写真など、興味深かった。もし識別用の写真を撮るつもりならできないこともないのではないか、と思った。

 次の小笠原では、諸島海域でのシャチの目撃情報(漁業者やウォッチング船による)等の発表があった。しかし、出現頻度は低く、定期的なものではないようで、同海域での定住的な個体群は存在しないと思われた。

 北方4島の調査は1999年から2005年までの5年間、NPO法人北の海の動物センターが実施した。調査の結果では、シャチの分布は択捉島のオホーツク側に出現が集中していたという。4頭以上の群れでは82%に新生仔が含まれていたということも報告され、オホーツク周辺での繁殖の可能性は高いのかもしれない。又、この出現の集中する海域は、海生哺乳類の分布と高い確立で一致していたということであり、発言者の笹森琴絵氏はこの海域で見られるシャチがこれらの海生哺乳類を餌とするトランジエントでは、と指摘した。ここではせっかく写真による識別も行われているのに、ロシアとの関係で今後の調査継続は微妙であることが残念だった。ロシアとのつながり、特にカムチャツカ海域の調査との適合など、早急に関係者がデータを交換すれば、同海域のシャチの生息情報を充実したものにできるのではないだろうか。
 どうも、政府関係の方たちのやっていることは、こうした糸のほぐれた端が差し出されているのに、そこからともに解きほぐしていこうというような柔軟性に欠けるようだ。

最後は、2005年に北海道の羅臼町で流氷に閉じ込められ、死亡した9頭のシャチの胃内容物の報告であった。これらのシャチに胃内容物からは、氷上で出産する2種のアザラシと亜寒帯に分布するイカが発見されており、鯨類の痕跡はなかった。日本沿岸でのシャチの食性研究は捕獲のあった50年前からほとんど進展がないことから、シャチの基礎的な生態知見をえるためにも目視情報や自然死亡個体の調査が不可欠であるとし、くれぐれも(捕獲は)慎重に、という言葉が添えられた。
 わずかではあるが、こうした地道な調査が水族館飼育よりも今後のシャチ研究にとって必須であると思われる。

 最後の総合討論は、タイトルが「シャチ研究は如何にあるべきか」というものだったが、時間がなくなったので(方向性を出すような段階ではないということもあり?)、座長の加藤秀弘教授によって指名された人たち中心の意見発表になった。
 1部の座長であった大隅清治氏はシャチ研究に関して系群や食性については欠けていることを認めつつも、カナダやアメリカの研究と比べて沖合い調査で有利だとし、日本の場合は利用する中での研究をすべきとした(彼は後の懇親会で「沿岸調査は大学やボランティアがやればよい」という見解を示したが、シャチの生態解明を本気で考えているのか、非常に疑問に思った)。
 これに、座長の加藤氏は沿岸域が非常に弱いことを再度強調、北方4島調査はその補完でしかないとし、分布域や動態の調査の必要性を言い、その可能性を研究者に質すとともに、倫理的な側面からの調査のし辛さを付け加えた。加藤氏の第1部に関する結論は、シャチがダイレクトな漁業資源ではなく、エコシステムマネージメントの一環として考えるべきというものだ。

 一方、第2部はもっぱら「シャチの生理を知る」ところに始まり、繁殖がゴールであるような理解で進んだ。今後の方向として、第2部座長の吉岡氏から希望としては飼育個体から更なる調査を行いたい旨の発言があった。
しかし、一方で会場から出された質問「人工繁殖によって得られるものは何か。どの程度の機関、リソースによって目的を達するつもりか」などの質問についての明確な答えはなかった。第2部と捕獲の正当性との関連はまったく見られなかったのは言うまでもないが、議論の〆としては特別捕獲による学術研究としての成果を集める中で各園館のセクショナリズムを打破できたという部分的な評価で終わったことは興味深い。協力体制といっても、この間の流れを見れば次回捕獲を可能にするため、水産庁の指示に従った一時的な歩み寄りに過ぎないと思われた。

 捕獲に関しては、「リスクがあり、覚悟が必要」という雰囲気が全体に見られた一方で、大隅清治氏の発言「10年の蓄積を踏まえて繁殖という目的を達成してほしい。宮下氏の報告にあるようにシャチはたくさんいるので利用し、次のステップに進むのがこの10年の成果を生かす道。水産庁も実現に向けて努力してほしい」というような意見が際立っていた。ちなみに彼は太地くじらの博物館の名誉館長である。こういうのも、規模は小さいものの、今問題となっている「口利き」の1種ではあるまいか、と思ったことだった。

海は誰のもの?

「母なる海」などと形容され、海から私たちが受け取っている恩恵は計り知れない。海そのものが癒しだという人も少なくないが、安定した気候をはじめ、食料など資源を供給している海についてあんまりにも人間は勝手な態度を取り続けてきた。ほしいものを奪い、いらないものを捨てるために海があるわけではない。そんな状態がいつまでも続くわけがない。

海の生態系の保全は、私たちの生存に強くかかわっている。だから海とそこに住む生き物に対して私たちは大きな責任があると思う。たとえば、この7日に起きた韓国沿岸のタンカー事故。どれだけの生物が命を奪われることか。

この7月に「海洋基本法」が制定され、今、その基本計画が策定されている。日本は世界で6番目という国土と比べて広い排他的経済水域を持つことになった。
日本が経済活動をする権利があるというだけでなく、海域の保護・管理に責任を有するということだ。

これまで、省庁の縦割りでなかなか統合的な管理に踏み出せなかった日本にとって、内閣府のもと、各省庁が合同で政策本部を形成するこの法律は、今後の海洋の管理には重要な法律ということもできる。

しかし、一方で国交省が主体となり、議員立法であっという間に制定された背景には、昨今かまびすしくなっている領土問題と海洋の鉱物資源開発が貢献していることは間違いない。
残念ながら、この人たちは、海が私たちすべてにとって、さまざまな意味で重要だというは思わなかったらしく、基本法策定に市民参加はかなわなかった。
基本計画においても、形ばかりのヒアリングで、本論とは関係のない「つまみ」程度に生物多様性の保全が認識されているにすぎない。もし、いま、深刻な事故が起きても、海の中に関しては十分な生物調査もされていない。
第3次生物多様性国家戦略の閣議決定もなんのその、ある大学の先生などは「日本の持っている権益を生かし、未来に「資源」と「産業」を」とのたまうのに驚くが、残念なことに今の議論の方向はこうした意見に集約されるわけだ。

開発について、あるいは権益について話題にするなといっているのではない。しかし、そのおおもとが損なわれたら元も子もないのではないか。まず、多様性保全を考え、それから与える影響を忖度しながら開発を検討しても遅くないと思うが。

目先の利益ではなく、将来にわたってみんなが海の恩恵を享受できるよう、拙速な開発や隣国との縄張り争いではなく、ともに美しい海を守っていこう、協力して生物多様性を保全していこうという姿勢をせめてこの基本法でほんの少しだけでもいいから見せてもらいたいと思うのは私だけではないはずだ。

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