« TAIJI 5 のアスカ逝く | トップページ | コククジラが水産資源保護法に? »

2007年10月30日 (火)

学ぶということについて

私たちの団体はちいさいので、そう頻繁ということではないが、学生(小学校から大学まで多様)が話を聞きにきたり、メールで質問をしてきたりする。時間がなくても、できるだけていねいに答えようと努力をしているが、時としてずいぶんとがっかりするようなこともある。メールの場合など、たいていは聞くまでは丁寧で、返事した後はお礼も言ってよこさないことも少なくない。
昨日は、ある海関連の学校の生徒(中学生)が捕鯨に関する意見を聞きに来た。社会科の授業で捕鯨について習うのである。以前も同じ学校の生徒が来たことが何回かあるが、一度もその報告を聞いていないな、そういえば、と思い出したりした。
昨日の子はすごくまじめな生徒らしく、多少はぎこちなかったものの、きちんとした態度が好ましかった。
質問の最初は「クジラとの共存とは何か」
クジラだけではなく、イルカやクジラをはじめとする野生動物とどう共存するかである、ということで、人間はこの地球上で生きる命のひとつ。そして生物多様性条約のこと、日本も条約を批准しており、生物多様性保全に対しては責任を持っていることをまず話した。日本での鯨類保護というのは、たいていは海外が以上に熱心だから(やらなくてもいい)という態度でしかないのだ。
資源として利用すべきではないか、という質問もあり、殺すだけでなく、ウォッチングのような非消費的な資源利用もあるよ、と前置きして、でも資源として利用す「べき」というものでもないと思うけど、と答える。

それから、「クジラが魚を大量に食べているということについてはどうか」と来た。
さっそく、「小松さんて知ってる?」と聞いた(知っているんだな、これが)。彼が5月に出した本では、クジラは少なくなった魚を選んで食べたりはしない、そんなことをするのは人間だけだ。少しはクジラを見習うべきだって言っているよ」といったら、呆然としていた。ついでに私たちのパンフレットも手渡し、ちゃんと読んでねと言った。

次が、来るべき食糧難時代のためにクジラが必要ではないか、という質問である。
今ね、水産物全体の流通量は560万トン以上で、そのうちクジラは5000トンくらい。(持続的な利用するなら)繁殖率の低いクジラでは、食糧難は乗り切れないと思うよ。大体、遠くまで捕獲しに行くこと自体がエネルギーの無駄遣いだし、それよりも沿岸で、良い漁場を再生することを考えたほうが早いんではない?というと納得しているように見えた。

この後は調査捕鯨のことなども聞かれたが(答えは略)、この学校の先生というのは、どういう杜撰な授業をしているのだろうと、答えながらもすごく腹が立ってきた。
水産現場における資源枯渇や担い手の減少などの多様な問題というのは一部のネットおたくのクジラ論争よりもっと切実なものだ。そうした中で、水産の将来を真剣に考えれば、来るべき食糧難時代のためにクジラを捕獲しようなどという荒唐無稽を若者に吹き込むようなよゆうはないはずではないか。
真剣に質問を続ける生徒の姿に、教育現場の荒廃というか、貧困を私まで申し訳なく思ったことだった。

« TAIJI 5 のアスカ逝く | トップページ | コククジラが水産資源保護法に? »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。