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2007年6月 8日 (金)

自動車だって商業流通してるのに

IWCアンカレッジ会議報告(1)

アンカレッジで開催された第59回国際捕鯨委員会(IWC)に参加し、月曜日に帰国した。すでに4日もたつというのに、(これまでと同様にきちんと内容を伝えたいという気持ちはあるのだが)なんだか脱力感が強くてなかなか書く気になれない。

脱退?本会議発言は初めてだそうだが、?「オオカミが来た!」発言はいい加減にしてほしい。

開催国がアメリカであったこと、議長国もアメリカだったことが会議の進行に関係しているかもしれないが、これまでと比べて派手な言葉の応酬はなし。決議案も少なく、投票も少なく、最終日の日本の大見得以外は盛り上がりなし。

変わったこと:ネームタグに顔写真がつくようになった。しかも、会議場入り口でいちいちそれを機械にふれさせて、認識させなければならない。

今回のキーワードは「妥協の精神」と「参加しません」(妥協の精神から参加を拒否する!?)。

そして本会議議論での特別賞というものがあるなら、森下代表代理の

「・・・木材だって、自動車だって商業流通しているのに、なぜクジラだけだめなんですか?」

を推薦したい。

<先住民枠と沿岸小型捕鯨枠は同じ?>

今回アラスカが選ばれたのは、IWCで認められている先住民による特別捕獲枠の5年目の見直しが行われるからだ。アラスカ先住民、ワシントン州のマカ、ロシアのチュクチ、グリーンランド(デンマーク)、セント・ビンセント&グレナディーンに対しては、鯨肉がその地域にとって不可欠の栄養源であり、また商業的な流通は行わないという制約のもと、捕鯨を許可している(その一部に疑わしいところがある、といううわさもあるが、それはまた別の話題ということで)。

日本はこれに対して、日本の沿岸の4捕鯨基地に、先住民捕鯨と同じような特別の計らいをしてほしいと訴え続けてきた。この要求の勘所は、モラトリアム解除をするための4分の3の票獲得が無理な状態の中で、同情票でもって捕鯨基地に枠を与え、実質的な商業捕鯨禁止を突破しようというところにある。

毎回、それぞれの基地の町長や市長が会議に出席し、プレゼンテーションを行う。「モラトリアムによって疲弊し、立ち行かれなくなった地域に救済を!」というわけだ。カリブなど「飢えて苦しんでいる沿岸の人たちに、なんで救いの手を差し伸べようとしないのですか?」と本気で憤る。

しかし、鯨肉供給について言えば、2004年に沿岸の調査捕鯨を小型沿岸捕鯨業者に委託し、当初ミンククジラ60頭、翌年から120頭を捕獲するということでこれまでの沿岸捕獲枠の要求を実質獲得した。沿岸の鯨肉は母船による冷凍ものとは違い、生で販売されるため、人気も高く、市場で値段も高く付けられる。いずれにしても、カリブの人がイメージする「飢えて苦しんでいる捕鯨基地」というのとは少し事情が違う。

今回の日本提案では、「モラトリアムの解除を意味するものではない」、「沿岸地域に限る」「捕獲数は調査捕鯨の捕獲数からさっぴく」という新たな提案(これまでで一番いい提案だそうだ)がなされた。しかし、当然ながら反対意見が出る。「沿岸に限るということであっても、商業的な流通をするということであればRMSの完成を待つべき(RMSは日本が調査捕鯨を取り下げないといっているため進まない)」、「捕獲数を調査捕鯨から引くということは、調査そのものがそもそもいい加減なものだったということではないか」。

これに対して、先ほどの「商業流通のどこが悪い」発言がでたのだ。

彼は国際漁業資源問題に関しては専門家であるから、当然、国連海洋法条約の中にその生態の特殊性から海洋哺乳類、特に鯨類に関する特別の措置の必要(第64条)が明記されていることを知らないわけはない。では、知っていながら工業製品である自動車の商業流通とクジラをあえて同列に論じたのはなぜなのか。

彼は、こうした語り口が国際的に通用するかどうかは問題にしていないのではないだろうか。彼が語りかけているのは会議そのものではなく、日本の支持国であり、日本のメディア、議員そして動画中継を見ている日本の応援団なのだろう。

捕鯨問題に関心のない日本メディアはそれにまんまとのせられ、「日本が科学的根拠に基づく主張を展開しても、一切耳を貸さないという反捕鯨国の態度は、理不尽の極みだ(北海道新聞)」とか「非難の応酬に終始してきたIWCを‘正常化’する努力が実を結ばなかったことが・・・(毎日新聞)」などと書く。そして、水産庁と鯨研はしばしの安泰をえるわけだ。

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