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2007年5月20日 (日)

ODAのあり方と私たちの責任について

 昨日、グリーンピースが主催した、ドミニカ国の元農業・漁業大臣のアサートン・マーチン氏の講演会を聞きに行った。

日本の介入でドミニカの閣僚が閣議決定を裏切って、IWCで日本政府を支持したことに対して、彼が抗議の辞任をした2000年は、私が始めて団体登録をして会議に参加した年だった。会議場で、ドミニカから来たNGOが記者会見を開き、いきさつを語った。そこで80年代にあれほど批判を受け、改善されたはずの日本のODAによる支援がまったく変わらないまま、小国の政治をゆがめてしまっている事実を改めて知った。

しかし、日本のメディアはそのことを正しく伝えることもなかった。私は、あちこちメディアに働きかけ、やっと週間金曜日(2000,7.28 No325)とふぇみんに短い文章を掲載してもらうことに成功した。そうした経緯から、その後の様子などを聞くことができればと期待した。

 覚えている方も少なくないだろうが、80年代当時、日本政府はODAの無償支援として、アジアや南米、アフリカ、南太平洋の島嶼国で開発を行い、地元の自然環境を破壊し、地域産業と人々の生活を逼迫させた。利益はほとんどが開発を請け負う日本の企業に還元され、国際的にも非難を浴びた。当時は多くの関連書籍も出版され、日本の経済支援のあり方に疑問を抱く人も少なくなかった。

その中でもとりわけ水産支援における弊害は計り知れないものがあり、そのさまは当時精力的に問題に取り組んだ一人である清水靖子さんがその著書「海と魚と激戦地」(北斗出版)で書いていることに典型的である。彼女は、戦前の武力による侵略の代わりに日本が新たに経済による侵略を行っているとするどく批判したが、この土曜日にマーチン氏が指摘したこともまさにそれと同じであった。

 彼が農水大臣をしていた当時、日本の大使が訪れ、ODA支援をしようと申し出てくれた。彼は、ドミニカにおける支援での成果を期待し、それまで7年かかって作り上げたドミニカにおける農業開発計画のあらましを彼に説明した。しかし、大使はじっと執務室から外を眺め、「ここに複合漁業施設を建設しましょう」といったという。驚いて聞きなおしてもその言葉が返ってくるだけであった。大使は、彼の説明、彼の国で実際に何が必要とされているかということにはまったく関心がなかったのだ。

 日本は、ドミニカの意向もお構いなしに、漁業現場から遠く離れた首都に複合漁業施設を建設した。漁業者にとって、魚市場のあるその施設は遠く、利用しづらいもので、いまだにその結果に漁獲が増えることはないそうだ(減った年もあった)。漁業関連の事務所が2階に入っている以外は具体的に機能せず、1回にある製氷工場で作られた氷はイベントやパーティのときに使われているそうだ。実はもうひとつ同じような施設が建設され、その施設は、イベント会場に使われているという。利用されているのならいいではないか、という声もあるかもしれないが、実はこの施設は維持費が非常にかかるのだ。1200米ドル、もうひとつは1500米ドル年間維持費を国庫から支出しているが、国の予算そのものが2億米ドルほどだと聞けば、その負担の重さが理解できるだろう。

その見返りに日本が要求するのは捕鯨支持表だ。予想していたことではあるが、彼が知る限り、過去15年間というもの、IWCの負担金はドミニカの国庫からは支払われていない、と彼はいう。

「わが国は大変小さいが、非常に自然豊かな国です」とマーチン氏はドミニカの観光ビデオを紹介した。このような自然資源をどう利用するかは、その国の国民が決めることで、他国からあれこれ指図されるようなものではない、と彼は憤る。現に、ダイビングやホエールウォッチング産業が盛んなところで、クジラを殺す選択というのは何の利益にもつながらない。最初は沈黙してきた環境関連産業が、今年ははっきりと政府の捕鯨推進に異を唱えているという事実がなにより彼の主張を裏づける。

 ドミニカは、過去500年というもの、イギリスやアメリカ、オランダという国々に支配され続けてきた。そしていまは日本が、札びらを切ってドミニカをはじめとしたカリブの国々を新たな植民地としようとしていると彼は続ける。

 自分たちに必要なものは他国が指図するために支払う札束ではなく、独立国家としての自由な選択であり、また自分たちの子孫に一体どれくらい豊かな国土を残せるかではないのか。主権を侵害するようなODAの財源はあなたたち日本の人たちの税金なのだ、と彼は指摘する。捕鯨の問題は、遠いようで実は私たちの生活にも密接に結びついているのだ。

 残念なことに、日本人のほとんどがこうした事実にむとんちゃくだ。しかし、こうした経済的な侵略による日本支持が一体長続きするものだろうか? 「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるが、その時のことを見越して政府はどんどんと軍事力をたくわえ、事を構える準備をしているのだろうか? その行き着く先は底知れぬ闇ではないか、と思うのだが。

 

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