2008年7月18日 (金)

IWC1日目続き

 続いてクジラの「資源量」について、科学委員会からの報告があった。まず南極海のミンククジラ(クロミンク)だが、これは2000年に「76万頭という数はもはや正しい推定数ではない。もっと少ない可能性がある」とされてから、毎年、来年は出せるとされながら、なかなか出てこない。
 クジラの推定数は殺す調査ではなく、SOWERというIWCの目視調査が行われている(船は日本が提供しているのでまずはこの協力に対しての感謝が伝えられる)。

 この目視調査について、3つの方法で資源量推定をはじいているが方法によってかなり数の開きがある。今回は予備的結果として2つのモデルが使われたが、今後、合意可能な推定数を出すためのワークショップが提案された。

 もうひとつは、これまでの捕鯨時代から蓄積されている耳垢による年齢査定のモデルで年齢査定能力が影響してランダムなエラーが起きているため、今後はそのエラーのモデルを作り、調整していくという報告もあった。

 科学委員会議長の報告に対してニュージーランドは感謝をしつつも、南極で何が起きているかということを合意の得られない推定個体数で検討しないで、気候変動など科学的な傾向を見ていくことのほうが重要ではないか、という意見である。
 それに対して日本は、南極海で起きているかもしれない変化を致死的、非致死的両方の調査で行うことが重要であるとし、ランチタイムのサイドイベント、JARPA IIの紹介を見てほしいという。

 日本は、南極の環境が変化し、ポリニアと呼ばれる氷山の隙間に池ができ、そこにミンククジラが密集しているので、数が減ったという見かけの現象が起きたといっている。また、ほかの鯨種が増えてミンククジラを氷辺に追いやっているというのも繰り返される説である。

 私はしろうとかもしれないが、南極海での環境変化を見つけたということを日本政府が繰り返し重要なことのように言うのを聞くとちょっと恥ずかしい。生態系というのはいつでも変化しているもので、それ自体は問題ではない。問題なのは、人為的な行為が生態系を急激に変化させるような場合だと認識している。そういう意味で言えば、日本が「ミンククジラが(ウサギだかゴキブリのように)増えてほかのクジラが増えない」といい続けたのに対して、ほかの鯨種も増えていて(といっても捕鯨以前まで回復しきれているわけではないらしい)、再びバランスを構築しようとしているかもしれないし、ニュージーランドが言うように、南極の環境で大きな問題はまず気候変動かもしれない。

 ミンククジラ(あるいはナガスクジラ)をとりたい欲望と混同するのはやめてほしい。

 次は北太平洋ミンククジラで、現在合意されているO-stockとJ-stockのほかの系群に関しての追加情報が必要とされ、日本、韓国からの情報のほか、ロシア海域での情報が必要とされた。日本、韓国でのJ-stock混獲問題が指摘される。特に、最近発覚した韓国での密漁問題で、この個体群の捕獲が報告された。
 韓国は、地域保全管理に務めると発言、科学者を増やし、関係国とも協力して共同調査をすると発言。
ロシアは、科学委員会の当該海域における調査の必要性についての強い勧告に対し、正式に国に対して要請してほしいと答えた。
 日本からはロシア海域での調査が出来たことに関してロシアに謝意を表明し、コンスタントな継続を要望した。
それから、定置網による混獲では、定置網の設置は昔から同じ場所で行われ、定置網そのものは減少傾向になることを強調し、混獲がなぜ増えているか時系列にしたがって調査するとした。

 午後からは南極のザトウクジラ、

 

2008年7月17日 (木)

チリIWC報告第1日目

 今回ははじめに書いたように、「IWCの将来」という議長のかなり強いリーダーシップ
で、意見の対立するものは事前に話し合いを行い、合意形成に努め、決議は原則ださない
という「合意」のもと、これまでのようなプレゼンテーション合戦は比較的少なかったため、
議事の紹介という点ではあまり面白いものではない。
 また、詳細については水産庁外郭団体が毎年中継しているので、それを見ている人たちも
結構いると思うので、周辺情報や裏読みのようなものになるだろうと思う。

 それにしても、国際会議数あるところ、実際に中継されている会議がほかにあるかどうか
私は知らない。言ってみれば捕鯨というのはそれほど大きな国際マターではないのだから、
それを同時中継し続け、さらにその会議の内容の懇切丁寧な説明が(もちろん、「正しい日本
国民の会議の読み取り方」ということですが)毎日付け加えられていて、その解説まるごと
本会議と錯覚しそうな変なものではあるが。

 2000年のアデレード会議から参加しているが、会場となる施設(ホテルが多い)の正面に
IWC会議の垂れ幕がなく、町にもそのことを示すバナーのない珍しい会議だった。そのくせ、
警備だけはすごく厳重(でも形のみ)で、カーキ色の軍服まがいの制服を着た警官がそこら
じゅうに立っていて、検問が行われていた。その割りに、ポール・ワトソン氏は堂々とホテル
で記者会見を行っていて、何がなし、神戸のばかばかしい海上警備を連想させられたものだ。
 
 会場には、さすがに今回の会議を支援すなかなか凝ったデザインの垂れ幕があった。そして、
最初の挨拶には外務大臣と環境大臣が挨拶し、オープニング当日に地理のEEZすべてにおいて
鯨類の捕獲が禁じられるサンクチュアリに設定されたという報告があった。やるじゃないの、チリ。

 ご存知のように、チリな南北に細長いので、南米大陸太平洋側の半分以上がサンクチュアリ
指定されるのと同じ効果がある。最近もシロナガスクジラの群れが発見されたり、また繁殖域
ではないかと考えられているところだ。チリの沿岸域には43種の鯨類が生息するということで、
外務大臣の挨拶でも非致死的なクジラの利用ーホエールウォッチングの重要さも指摘された。

 今回新たに参加した国はウルグアイ、コンゴ(そして翌日にタンザニア)。数年前まで40数カ国
の小会議だったのが、参加国がほぼ倍増したようで、参加者数も国代表、オブザーバー、メディア
などで500人を越えたらしい。日本の記者さんたちは、相変わらず政府代表団と捕鯨推進の人
たちのあとを金魚のうんこのようにくっついている。

 議長のホガースさんはヒースローでの中間会合以降、「誠意ある」話し合いが続いていると
感想を延べ、決議案は本議会前に提出して議論し、コンセンサスを形成することを要請した。

 昨年に続き「よいこ」の日本が「日本としてはクジラの人道的捕殺=福祉、ホエール・ウォッチング
小型鯨類等、本会議の議題とは考えていないが、議長のリーダーシップを支持する意味合いから
反対の動議は行わないとつげる。また、JARPAIIのプレゼンテーションはランチタイムのイベント
ととして行うので、皆さん参加してほしいと要請し、対話に向けてすべての国が協力することを
願うとした。

 アルゼンチンが、議長のリーダーシップに感謝し、日本のこれまで行ってきた動議を今回
出さないことを賞賛しつつ、決議案をだしてはいけないのか、とするどい質問。

 それにたいし、議長は決議案は出ないものと確信しているが、権利はある、といいながら
ノーサプライズでコンセンサスをあくまでも尊重してほしいと釘をさした。

 デンマークが、EUの捕鯨を行わないという合意に触れ、IWCにおける共通ポジションに合意
しているが、海外領土であるグリーンランド、フェロー諸島に関してはEUの立場と異なる見解
を持ち、領土の利権を宗主国として代弁するという区別化を説明。
(グリーンランドは今回ザトウクジラ10頭の捕獲枠を要求して保護側を不安に陥らせている)

 その後は、科学委員会からのクジラ個体数に関する報告が続く。Andes1_p6240098


2008年7月14日 (月)

チリIWC報告ー前書き

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 会議の終わったよく28日、サンチャゴの中心部(セントロという)におみやげを買いに出かけた。土曜日とあって、地方から出てきたとおぼしき人々でごった返し、会議の行われたプロビデンシアの整然とした静けさと打って変わった賑わいである。その人混みで、ギターを抱えたストリートミュージシャンと思われるお兄さんが、なんと、ビクトル・ハラのイラストのついたTシャツを着ているではないか!早速カメラ、とレインコートのポケットをまさぐったが、カメラがない!さっき、ビーズやさんで色とりどりのビーズなど商品に囲まれた白い、でかい犬を撮ったばかりというのに・・・バックパックにもはいっていなかった。すられたのだ、まんまと。

という不始末で、今回の写真はすべて借り物だ(じゅんこさん、すみません)。

 最近の旅行といえばIWCの開催地くらいで、自ら望んでいくというわけではないのだが、今回の開催地であるチリ、サンチャゴには少しばかり思い入れがあった。

 ビクトル・ハラという人は、 1970年にアジェンデ政権を誕生させる世論形成に貢献した演劇人でシンガーソングライターである。アジェンデ政権が軍事クーデターによって倒された時に逮捕され、殺されてしまうのだが、彼の歌は世界に広まっている(日本でも、オーマガトキというレーベルで発売されている)。ギターを奏でながら歌う彼の歌は、チリの虐げられた先住民や底辺の人々への共感に満ち、強いメッセージ性をもっているが、それにとどまらずに美しく、優しく、力強い。
 一昨年のIWCで第60回会議がチリに決まったとき、真っ先に思い出したのが彼の歌だった。

<写真はシェラトンにあるIWC会議場でのオープニングとセントロでのストリートミュージシャン。右端がビクトル・ハラのTシャツを着ている>
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2008年7月12日 (土)

チリIWC報告など

 チリから帰国してすでに10日もたってしまった。1日に帰国して、その翌週の7,8日は札幌。
 G8洞爺湖サミットへのメッセージとなるNGOフォーラム・生物多様性イシューグループの主催する「洞爺湖G8サミットから生物多様性サミットへ―ロードマップto名古屋」というワークショップでは沿岸・海洋の生物多様性保全についてのコメントを受け持った。
 そんなこんなで何となくざわざわと落ち着かない(何より暑い)毎日。
 そして、さらにはチリ会議がなんとも便秘状態の会議だったこともあり、一向に書く気力が出なかったのだ。

・「IWCの将来」という魔法の言葉でみんながふところが深く、互いに理解しあっているという演技をした。

・肝心な内容はコミッショナー会議で行われ(バトルがあったかもしれない)、その結果が儀式的に本会議にもたらされただけ=これは今後小作業部会という形で24カ国の参加の元、非公開で議論される。

・深い溝については、何でもかんでも小作業部会にぶち込み、パッケージとして(個別課題ではなく)議論するらしい。小作業部会は果たして万能か?

・今回、ジョン・デンバーの歌以来、久々にNGOが発言する時間を持った。双方から3人ずつでそれぞれ15分間。
作業部会を非公開にする代わりのガス抜きというか、一種の座興のようだった。

・ひとつ救われたのは、オーストラリアの南極海における鯨類管理計画の提案で、科学委員会の勧告の元、他の国際的枠組みとの連携を行い、国際的な協力のもと、非致死的調査を行うというものである。

これから何回かにわたって、チリのことを含め報告を書く予定です。

2008年6月10日 (火)

イルカの捕獲について

 昨年に引き続き、イルカ捕獲枠が更新された。全体で700頭あまりの減少。
減ったことを喜んでいいはずだが、それぞれ種別ではたいしたことはなく、どうもしっくりこない。
 「資源管理をきちんとする」と強調するのであれば、もっとそれぞれの種の持っている生態を考え、種ごと、漁法ごとに違いがあってもいいはずではないのか、と素人ながらに考える。

 特に最近、調査捕鯨肉が出回って、イルカ類は1980年代終わりごろのような景気よさは誰が考えてももどるわけはなく、業そのものが縮小していっているのだから、もっと抜本的な施策をとってもいいはずなのだ。
 今は原油高で国内のたくさんの漁業団体が休漁を検討しているくらいなのだ。産業の将来の展望から言っても、ことさらに延命させていることが産業にとってさえいいとは思えない。

 イシイルカについては、PBR(アメリカNOAAの管理の考え方)の手法を取り入れるとしているが、私の知っているある海外専門家はどこが?と首をかしげる。
 今回、イシイルカ型301頭減、リクゼン型のほうは252頭減。それでも捕獲数はあわせて16,312頭になる。1万頭以下にすべきだという声は届かない。

 スジイルカは、沖合いとDNAが一緒だったから、たくさんいるんだということで推定個体数がはねあがり、今回は枠から15頭だけ減らされている。この15ってあいまいな数字は何?

 バンドウイルカは、太地でも昨年中には来遊がなく、今年にはいって初めて漁ができたと聞いている。目に見えていなくなっている種の捕獲をたった57頭減らすことにどんな意味があるというのだろう?

 マゴンドウ(コビレゴンドウの南方型)にしても、もう本当に「やばい」状況にあるとおもわれるのに、30頭減らしただけというのは・・・・・ため息が出るようだ。

 追込み猟によってイルカは社会的な群れを消滅させられ続けている。数だけで解決することでもないが、数が多ければそれだけ群れの全滅は確実になる。しかし、方法に関しての問題は、追込みという手法によって肉ではない新たな産業を推進し、イルカ猟の延命を図るうえではきっと検討に値しないのだろう。

 イルカ猟をしている人たちのひとつの展望は「生け捕り=水族館用捕獲」というのは多様な立場の人たちが一様に言う言葉だ。要するに、生け捕りという一見穏やかそうなやり方で、実は消耗品としてとっかえひっかえ水族館に売りつけるということが商売としての可能性ということだ。

 しかも、日本国内だけでなく、海外に値段を吹っかけて金儲けをする手段にしようとしているのだ。
ある公営博物館(博物館ってどんな施設だったっけ?まあ、もしかしたら、小売屋さんなのに「博物館」なんて名前つけちゃう店もあるかもしれないが、一応、ここは’ほんものの’博物館だと思う)は、その運営を海外に法外な値段でイルカを販売することで成り立たせているらしい。
まずは中国で味を占め、次にドミニカ共和国で赤字補てんしようとして失敗し、次にトルコの娯楽施設、そして今回はイランに売るという。はんぱではない億単位にもなろうという取引だ。

 国連海洋法条約では、海洋とそこの生物は人類すべての財産とし、高度回遊性の海生哺乳類については国を越えた保護が必要だと認識を示している。特に鯨類についてはどんな国際法よりも厳しい国内法を作ってもいいとしている。
 あまり強く表現していないが、国際イルカ年が1年継続しているのも、イルカたちの存続へのさまざまな危険性(もちろん、日本沿岸でのイルカ猟をふくめ)が少しも解決されていないところから来ていることを日本の中でもきちんと認識すべきなのである。
 たまたま、ある産業のあるところに運悪く来てしまったから、取ったもの勝ちという考え方はもはや通用しないのだ。
 公営の博物館が他に率先して、「いのち」を安易に売り飛ばして存続を図るということの愚について、当事者たち、特にそこにかかわる教育関係者たちに厳しく反省していただきたいと思う。

 気候変動に比べて小さいように見えるこの問題も、実は私たちが早急に国内で解決しなければならない責任問題でもあるのだ。

2008年6月 5日 (木)

不思議、不思議

 捕鯨関連でこれまで噂されていたようなことが明るみに出たと思ったら(だれかが明るいところに引っ張り出す必要があったと思う)、その反応が、明るみに出す方法の是非に限られてしまい、なかなかいびつで残念だった。

 調査という科学信仰がとても篤くて、それにけちをつけるのはとんでもない、と考えている人は、調査の結果を個人の既得権でかなりの量を持ち出していることに疑問を抱かないのだろうか? 船の上で’立派に’調査、研究をした「かす」だからかまわないのだろうか? 
 あるいは、税金が使われている調査の産物を「お持ち帰り」することに対しても、すごく日本的に融通を利かせてしまうのだろうか。
 シーシェパードのときも感じたが、やり方を批判するのならば、同時に何で「調査」が本当に必要なのか、適切なものなのかという疑問がないのだろう?

 検察庁の捜査が行われるということだったが、結果のないうちに、また当の日新丸は、今度は北西太平洋に向けて出航しようとした。
そして、痛ましいことに、乗組員の方がひとり、自殺された。

 以前、日新丸が火災を起こした(1999年だったっけ?)時も、直後に自殺された方があり、その原因はうやむやでよくわからないうちに終わってしまったし、今回のこともほんの一部の地方紙のみが扱っただけだった。
 日新丸は、まだ出航はしていないが、水産庁は、捕獲調査をしないという選択肢はないという。

 本来ならば、持ち出し問題をちゃんと解決してから、調査そのものも検討するというのが普通の感覚なのではないだろうか?

 一方で、今度は、アイスランドとノルウェーからの鯨肉輸入問題が発覚した。これも、BBC,AFPという海外メディアの発信で、それがなければすんなりいったのだろうか?

 経産省はそんな輸入は連絡されていないというし、水産庁は「正規の輸入なら捕鯨班を通すはず」という。
輸入申請というのは、税関を通る時でよかったっけ?だいたい、輸入されるとされるナガスクジラもミンククジラも
ワシントン条約で国際取引を禁じられている種だが、3つの国がそれぞれ留保という手段を使っているので違法性はない。しかし、ワシントン条約対象種は輸出国、輸入国双方の当局が管理するものだ。

 2000年のときは、ノルウェーからの輸入は、脂身にたまったPCBが、ノルウェー国内では食べるなという警告が出されていることが明らかになるなどして中止された。ベーコンでも上物はデパートなどで100g4500円などの値がついており、ノルウェーは捨てるより、日本の業者に捨て値で売ろうという魂胆だったから、輸入業者にとってはこんなにおいしい話はなかったろう。
 
 しかし、当然ながら、安い鯨肉が入ってくれば、今でもだぶついている肉の行き場がなくなるのは目に見えている。沿岸で捕獲しているはクジラの肉の値崩れも問題となるはず。

 そんなこんなで、その後これまでに幾たびか輸入の話は出たが、立ち消えている。

 今回は、何年も前に廃業した水産会社の名義を借りて、2週間前に新たに作った会社が輸入元だという。確かに輸入は違法ではないかもしれないが、道義的問題は依然として残っている。
ワシントン条約における留保措置を悪用したそのような業者を取り締まる方法はないものだろうか?

 問題が起きたとき、上っ面だけ見ないでなぜなのか、と思う正常な関心がメディアにも薄い。自分の胃袋と攻撃対象を憎むことで、内側にこもった議論をするのはまったく生産性にかけるが、どちらかというとメディア自身がその線上にいるのだから、じれったい。

 先日もある国連職員と話したときに、捕鯨問題はもう終わりというのがその人の認識だった。しかし、私たちが国際的にはすでに小さな問題でしかないクジラ資源利用問題をいまだに無視できないのは、それが日本の水産、あるいは水産関係者を硬直させてしまっているからなのだ。

 これまでの人間の乱獲や開発、汚染、混獲、不適切な漁法などによって、世界の水産資源が危機的な状況にあることは論を待たない。
 しかし、日本のある一部の水産系の人たちは、クジラに固執することがまるでこの漁業資源枯渇の答えであるかのようにいう。

 つい最近もクジラ放牧などと、まったくお笑いとしか言いようのない意見が再浮上してあきれた。「魚を大量に食べる」とされるクジラの「放牧」がもし(不可能だと思うが)可能になったとして、クジラを飼育するはずの魚を人間が食べるほうがよっぽど効率はいいし、海洋環境にもいい。

 沿岸の再生を真剣に考えるべきときに、クジラを食べる話ばかりで熱くなるというのはいただけないが、一方で、海外に任せて国内で議論をすることを捨象している、あるいはまったく関心がない日本の人たちにはもう一度真剣に考えてほしいと思う。

 

2008年4月25日 (金)

クジラ類の保護の遅々たる歩みについて

 昨日は、京都でCIVIL G8の会合があり、環境ユニットの生物多様性イシューグループとして、ワークショップが行われた。IUCNのジェフ・マクニーリー氏が最初に生態系サービスの経済的価値について例を挙げながらわかりやすく説明し、3千人の専門家によって2005年に報告された国連のミレニアム生態系評価の継続により、国際社会に与える生物多様性の経済的評価や多様性の損失によるダメージをさらに深く調査する必要性を訴えた。
コンサーベーションインターナショナルの日比保史さんが次に環境関連の法律と生物多様性、そして、温暖化と生物多様性の関係についてプレゼンテーションを行った。

 IKANにも海洋の生物多様性保全について語る機会が与えられ、昨年の環境大臣会合で海洋保護区のグローバルなネットワークの必要性が記述されたことに始まり、昨年の海洋基本法の制定、第3次生物多様性国家戦略における沿岸・海洋の生物多様性保全の動きなど国内の動きと、あいかわらずなかなか進まない海の生物多様性保全について、また、別の意味で特殊視されている鯨類の位置などについて話すことが出来た。最後はユースの林雄太くんのCOP9に向けてのユースの活動の紹介。
残念ながら、やはり海に関しての興味は薄いようだった。

 しかし、今回は、ポジションペーパーに沿岸のイルカ類の保護、調査捕鯨の国際的な協力のもとでの非致死的な方法への転換などを書き入れることも出来、これまで継子扱いされがちだった鯨類に多少のスポットをあてることが出来たことはうれしい。

 世間的には今もって調査捕鯨のいかがわしさに関して疑問を抱く人は少なく、日本が国際的に負うべき責任についてはまだまだ理解が不十分であると思う。
 沿岸のイルカ類の捕獲に関しても相変わらずで、群れを消滅させることへの危機感も薄いようだ。

 たまたま、太地でのコビレゴンドウ捕獲のニュースを知り、「えっ!4月になんで?」と思って水産庁に聞くと、県が決めることだといわれ、和歌山県に聞いたら、ゴンドウ類についてはおととし(2006年)に猟期が10月~3月末から9月~4月末までに変わっていたことがわかった。早まったということは水産庁に聞いたが、そのときに猟期の終わりも聞かなかったのがうかつだった・・・・・・・

 コビレゴンドウはシャチのような知名度こそないが、シャチの推定個体数が「生活史」が似ているとされるこのコビレゴンドウから類推されていたことでもわかるように、母系社会を形成していると思われ、妊娠期間も15ヶ月で1産1子と繁殖率も低い。メスは40歳前に出産をやめ、群れの福祉に貢献しているらしいところもシャチに似ているようだ。

 こうした生物を、えんえんと50年近くも群れごと消滅させ続けてきて、減っていなかったら奇跡というものだ。

 何回も書いていることだが、海の住むものは海洋法条約が出来たときに「取ったもの勝ち」ではなく、人類共有の財産となったはずだ。条約を批准する日本が一方で鯨類を「上陸しない(つまり日本固有のものではない)」から保護の対象からはずし、一方ではごく少数のものに勝手に取らせているっていうのは条約違反ではないのか?

 世論が喚起されることを切に望む今日この頃である。(食べたい論議だけするのはやめてね)
 

2008年4月 2日 (水)

イルカについての内外の認識の差

 南極での調査捕鯨に対する海外の批判の高まりに対してこちらはあまり国内での報道はないようだが、
イルカ猟への批判もかなりテンションが上がってきている。

 この日曜日(3月31日)のジャパンタイムズは、紙面1ページ半を使って「ついに隠密作戦により太地の
毎年繰り返されるイルカの恐怖が陽の目を見たー秘密の映像が世界に(イルカの)虐殺を明らかにする
だろう」という見出しの文章を掲載した。

 それによると、ネットスケープ創始者のジム・クラーク氏の援助により、アメリカの海洋保護協会という団体がプロの映像作家を太地に派遣し、お金に糸目をつけないハイテク機材を使って毎年太地で非公開で行われているイルカの捕殺のすべてをフィルムに収め、この6月には世界中でイルカ殺しの長編ドキュメンタリーが公開されるというものだ(日本では未定)。

 カメラを張りぼての岩に埋目込む作業は、元スターウォーズ関連の作業所で作られ、むずかしい海中撮影は、フリーダイビング世界選手権で7回優勝したクリックシャンクさんが可能にした、とも書かれている。

 昨年の10月には、世界で名だたるサーファーたちが殺されたイルカの魂に祈りをささげるというイベントを行い、
アメリカなどで人気のテレビ番組「ヒーローズ」の主演女優の一人、ヘイデン・パネッティーアが参加したことで
話題になった。

 「感情的でイルカだけ特別視している。理解できない」というが声聞こえてくるようだ。
海外での多量な情報の行き来に比べると国内では「知る人ぞ知る」マターで、一体何のことかわからない人も
少なくないに違いない。

 国内で陸上の動物と比べ、海の生物、とりわけ鯨類関係に関しては、情報がかなり限られていることをまず最初に言わなければならない。漁業資源としての扱いで、水産庁が仕切ってきたこと、水産庁が日本人=産業界と認識する傾向が強いことが原因と察する。


 昨年、国連はボン条約事務局とともに、2007年を国連イルカ年とし、2008年もそれを継承することにした。それは、ひとつには海の生態系の要の種であるイルカ類が人間の活動による海洋汚染や混獲、イルカ猟、海底開発のための地震探査やソナーによる音、船との衝突などで危機的な状況にあるという認識によるものだ。
 1994年に海洋法条約が発効したときにも鯨類への特別の保護が書き込まれたにもかかわらず、危機的状況が一向に変化していないということである。

http://www.yod2007.org/en/World_of_dolphins/index.html

世界的に見れば、イルカ類に関する生態調査も着々と進んでいる。その生活史や社会行動のほかに、イルカが
人間や類人猿のように自己を認識する能力を持っていること、洗練された認知能力があることや豊かな感情を持つということなどだ。一方で、彼らの生活は、長い進化の歴史の中で私たちのそれとはまったくかけ離れたものとなった。こうしたイルカたちの研究成果は、多くの人たちにイルカへの強い愛情を生み出す元となった。こうした事実をひとくくりに「感情的」と切り捨てることが果たして正しいものだろうか?

 自己認識能力を持ち、個性あるイルカをその社会的なつながりや役割を無視して「数」と「繁殖率」で管理するのが本当に「科学的」な管理といえるのか、非常に疑問がある。さらには、想像する能力のある動物を一晩魚網に捕らえておき、翌日に次々と殺していくという方法が果たして許されるものだろうか・・・・・誰もこうした光景を見たいとは思わないだろう(ジャパンタイムズには、親と思われるイルカが殺された瞬間にはねている子どものイルカの写真も掲載されていた。こうした映像がさらに怒りを呼ぶのは当たり前と思われる)。
もうこれ以上待てない、というのが今回の行動の意味だろう。

 これまで、日本の行政は動物の特性、生態を無視して、「日本の伝統産業であるし、科学的根拠によって管理している」と主張してきた。
 しかし、これまで科学者の意見は産業の要請の参考程度とみなされ、産業擁護の姿勢が改められることがなかったのもまた事実である(昨年改定された捕獲枠を見てもそれが明らかである)

 伝統的に捕獲してきた伊豆ではまもなく富戸の撤退で文化の口実も説得力はなくなるだろう。後継者に恵まれず、船を売るものもいると聞く。

 さらに、クジラ肉あまりで増加したイルカ捕獲なので、クジラ肉があまっている現在、その需要は激減している。
 沿岸のハクジラ肉に貯留した化学物質汚染に関しても、それなりの情報の浸透もあるので、今後飛躍的に
イルカ肉需要が高まるとは考えられない。残るのは、家畜飼料、肥料と水族館用の生け捕りだけだと思われる。(認知能力を持つ、繁殖率の低い大型の動物をわざわざ餌や肥料に捕獲するのをよしするだろうか?本来は社会的絆で仲間と結ばれている動物が、見世物として終生とらわれのままでいる姿を見てうれしいと思うだろうか?)

 産業に携わる漁業者も、将来の見通しが明るくないことくらいはすでにわかっているはずなのだ。
海外からの「圧力」ではなく、潔い撤退をぜひ早期に実行していただきたいものだと心から思う。また、そうした産業を擁護し、場合によっては背中を押してきた行政の責任を反省して一刻も早く撤退を促し、漁業者支援策などを立て、実行してほしい。
それが国際的にもきちんとした国としての責任であると私は思う。

2008年3月26日 (水)

日本沿岸のシャチのこと

 今日、水産庁のHPの中の「国際漁業資源の現状」が更新されているのを発見。まだ全部をちゃんと見たわけではないが、気になっていたシャチのところを早速見てみて驚いた。
 昨年の11月に行われたシャチのシンポジウム(シャチシンポジウムに関してはブログ参照)の後の懇親会で、執筆担当の宮下富夫氏に1997年のいわゆる生け捕りの数が間違っていることを指摘したところ、更新する予定なのでそのときに訂正するといっていたので、時々のぞいていたのだ。

 1997年、5頭のシャチが「学術目的」で捕獲された。その年、実は、NGOの行った鯨肉調査で、シャチの肉が発見され、水産庁もその事実を隠しようもなく、とりあえず1頭だけ捕獲を認めてきた。今回の報告ではそれが削られ、たんに生け捕り5頭だけになり、違法性が疑われる1頭はないことになってしまった。

 さらに、どうしても解せなかったのが推定個体数である。昨年まではHPでは太平洋側に目視による他種との発見比率から、およそ1800頭、個体識別などもあわせてオホーツク側に721頭(今回は北緯20℃~40℃で745頭)という数字が出ていた。それが、今回、元データは1992年~1996年と変わらず古いものを使い、西部北太平洋の北緯40度以北で7,521頭という数字がでているのだ。

 11月のシンポジウムにおける最新とされる生息調査報告では、こんな数字はまったく話されてはいなかった。
 どころか、日本沿岸の太平洋側では目視調査でもめったに発見されていないことが報告されており、オホーツクでも多く発見されているのはロシア海域だということが明白であった。研究者によっては、アリューシャンをまたがって移動しているものもいるのでは?と考える人たちもいる(アルビノシャチがアラスカで最近発見されたので、そうした調査も進む可能性もある)。この数字は日本沿岸ではなく、実はロシア海域のことをさしているのだろうか?
少なくとも20℃以南は数字的になくなってはいる。
しかし・・・
それにしても数が多すぎるような気がするのだが???

 北米西海岸では、北海道の一部で見られる以外、目撃情報がいずれもまれな日本と違い、夏の時期にはオルカ(シャチ)ウォッチングが盛んなのは周知の事実であるが(私自身もアラスカでほんのわずかの時間に3回、別々の小さな群れを見た)。かつて、北米西海岸では数千頭のシャチがいると「信じ」られていたが、実際の個体識別の後ではほんの1000頭前後だとわかった。
 
 これまで、日本沿岸ではシャチの繁殖海域、索餌海域はもちろん、どこをどのように移動しているのか、どのようなエコタイプがいるのかまったくわかっていないにもかかわらず、いまさら古いデータからこの数字をどうやってはじき出したのだろうか。

 同じ懇親会のときに「とにかくたくさんいるんですよ」という某大御所の言い分をなんとしても言い張る必要があったのだろうか?
だとすればそれは捕獲を正当化するためのものではないのか? 

業界とは独立した科学機関による調査とこれまでの調査・研究に対する評価が早急に求められる。

2008年2月28日 (木)

続き

 今日の新聞(デイリーテレグラフ)で、日本の捕鯨推進の中核を担ってきた議員さんのコメントを見た。彼の意見が全体の意見の反映ではないと思うが、「沿岸での操業が許されるならば、公海でのクジラ捕獲はまじめに考え直すべきときかもしれない」というもの。「IWCでのアメリカ(議長国)の調整力次第で合意も出来うる」というようなコメントもある。
 国内でも、総務庁がやったアンケートの答えなど見ると、沿岸だったらいいんじゃないの?という声が強いように思える。
 かつての捕鯨推進の看板だったイギリスのお方も、やはり、南極はまずいという意見を何回か述べておられる。
森下さんも「調整中」という微妙な物言いをしていることであるし、考えられる解決法なのかもしれない。

 ところで、私はこれに対してはあまり前向きになれない。理由としては、昨日も書いたようにJ-stockを捕獲しないですませる方法があるのか。混獲クジラの数のカウントはどうするのか。
 
 かつて、西日本には捕鯨の「文化」があった。だが、それも、とりすぎのために産業として成り立たなくたって終焉している。そのことを考えても、よほどの厳しい管理、統制がない限り、クジラを流通させるのは難しい、と思っている。
 また、そうした管理そのものは、当然現代の産業の発展には寄与しないので、いずれは産業としてなくなることを考えつつ、産業としてどうきれいに終わらせるか、ということが重要な気がしている。
今だって、「食べたい人がいる」からとして産業を維持しようと、「国策販売会社」を作ったり、学校給食に導入したりして需要拡大を一方でし続けなくてはならない状態がある。「文化の継承」というけど、竜田揚げやらオーロラ煮やらといった戦後に入ってきた調理法をありがたがったり、カルパッチョだかポトフだかを実演してしているのはどう見たって文化の継承とはいいがたい。

 「いつでも、どこでも、格安で」を夢見ている人たちも一部にはもちろんいるでしょう。でも、それは「自然」を相手にしては無理な注文ではないのか。

 一般的な商品でないものとして、誰がどのくらい必要なのか、どうやって確保するのか。それはこれからの解決すべき課題のひとつだと思う。

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